小学校4年生ぐらいになると、遊びの活動範囲も広くなり友達との遊びが忙しくなって、習字に向いていた興味がだんだん冷めていきました。
ある日、遊びに夢中で帰りが遅くなって、それでも一応習字には行ったのですが、心が遊びのモードのままですのでいい字が書けるはずもありません。
先生から、「字が遊んでいるからつまらん!」と言って怒られたのを思い出します。
先生もその年を最後に、勤務校の転勤で遠くに行ってしまったので私も書道の塾をやめました。
これが昭和43年のことですが、この年が日本の書写・書道教育の流れの一番大事な時のようです。
学習指導要領の改訂で、それまでは毛筆は学校選択という形で第四学年から実施されていたのを、第三学年から「毛筆は硬筆の基礎」という理論のもと必修となったということです。
文部省(今の文部科学省)の藤原宏氏が、当時の書壇の飯島春敬氏、金子鴎亭氏、青山杉雨氏、手島右卿氏を集めて、「毛筆を必修にするけれどもどうだ」と。
書壇の先生方は、「よろしくお願いします。そのかわり、国語科ですよ。いいですね。」
藤原氏、「結構です。」
ということで、その時の取り決めが現在も続いているのです。
国語科の中の必修として毛筆を置くということが大事で、もし仮に国語科から独立させて習字科とか習字という科目を作っていたならば、もうとっくに毛筆は日本の小学校、中学校のカリキュラムからなくなっていたでしょう。
その当時の書壇の四人の先生方のご判断がすばらしかったということでしょう。
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